老母の入院

95歳の母親が入院した。入院が遅れれば手遅れになっていた。この頃、すっかりふけこんでいた。耳も聞こえないし、家では会話らしきものはない。

けれど入院してみると、自分がひとりで部屋にいると、寂しさがやってくる。

母親が死んだら、自分はひとりぼっちになってしまう。

その寂しさはたまらないだろうと思う。母親の存在は大きなもので、死ねばそのショックは強烈なものになるだろうと思う。

出来るだけ長生きして欲しいと思う。母親が死んでしまえば、本当に独りぼっちになってしまう。その寂しさは深く辛く、耐え難いものになるだろう。

5人に1人が60歳

60歳以上で働いている人は1192万人、全就業者の役2割である。5人に1人が60歳以上となるわけである。

働く事自体は悪くないが、食えないから定年後も働くと言う状況では良い現象とは言えない。夢も希望もない社会ということになる。

若い世代の働き手が減っており、シニア層の働き手が増えているわけだが、働く事が楽しいから働くと言う状況なら、良い現象なんだが、現実はそうではないようである。

シニア層が希望を持って働く、そんな社会であって欲しいとせっに思う。

 

憧れの地方都市

福岡市の今年4月1日時点の推計人口が149万4978人となり、150万人が目前になっている。2011年6月に京都市を抜いて全国6位となった福岡市。

人口増を支えているのは九州各地から移り住む若い世代である。

目の前に玄海灘があり、けれど博多湾は美しい。海を目の前に控えている地方都市はロマンチックである。山の中の地方都市というものは広がりがなくゆとりのなさを感じるものだが、海を目の前に控えている都市というものは広闊としていて、心も明るくなり浮き浮き気分になるから不思議である。

海の近い、光あふれる都市に住みたいと思う。

バタやんが死んだ

帰り船、十九の春、島育ち、歌を通じて人生の哀歓を古いエレキーを使って表現した。

田端義夫は偉大な庶民派歌手であった。

ギターを水平に抱えて「オース!]と言って挨拶するのは印象的だった。

田端義夫の歌には涙があった。癒しもあった。日本人の心を表現した。

今迄、バタやんありがとう、感謝している。偉大な歌手だった。

バタやんの死に寂しさを感じている。

あなたの歌には愛があった。けしてあなたの歌は忘れないよ。

さらば、バタやんよ。

僕のつれづれ日記

温水式洗浄便座がなくてもおしりを洗いたい、そんなニーズに応えたTOTOの「携帯ウオシュレット」が売れているそうである。単3形乾電池で動き、本体のタンクにぬるま湯か水を入れると、ノズルから約20秒間噴出す。温水便座のないところも結構あるから

この携帯ウオシュレットがあると便利でいいと思う。ぜひ1台欲しいところである。

僕のつれづれ日記

麻生副総理財務相ら閣僚が春季例大祭にあわせて靖国神社を参拝した。

これに反発して韓国は外相の訪日をとりやめた。

中国外務省も日本に抗議した。

靖国参拝は歴史認識にかかわる問題であり、閣僚が参拝すれば韓国、中国の反発を食らうのは予想できたはずである。たくさんの国会議員が参拝したわけだが、隣国の感情というものも考えるべきである。これで韓国、中国との関係改善が遠のいたわけだが、国益を損なう行為である。

火種をまくべきではないと思う。

僕のつれづれ日記

全国電話世論調査によると、安部政権の経済政策「アベノミクス」で所得が増えると思うとの回答は24.1パーセントにとどまった。

増えないと思うとの回答は69.2パーセントに上った。景気好転を実感できないとの声が81.9パーセントに達し、「実感できる」は13.7パーセントだった。

正直なところ、僕もアベノミクスには期待していない。

下手をすると生活環境は今後悪化するのではないかと思っているくらいである。

自分の生活は自分で守ると言う感覚が必要である。経済的に自立するということが大切である。最近、特にその事を強く思うのである。